こんにちは。Erikaです。
最近の私の課題は、次女の癇癪にどう向き合うかです。
思い通りにならない時、疲れている時、お腹が空いている時。姉とのやり取りでイライラすることもあります。
そんな時の次女は、大きな声で叫び、地団駄を踏み、時には手足が出たり、物を叩いたりします。
もちろんその姿を見るのは大変です。
でも私にとって本当に大変なのは、次女の癇癪そのものではなく、その時の自分の感情です。
「また始まった…」
そんな疲れやイライラ。
その後に予定がある時は焦りもあります。
気づけば私自身も感情的になってしまうことがあります。
ーーーーー怒りは二次感情。
その奥には、悲しさや悔しさ、寂しさや不安といった一次感情があります。
だから最近は、
「これが嫌だったんだね」
「悲しかったんだね」
と、次女の気持ちを言葉にしてあげることを意識しています。
感情を否定するのではなく、まずは認めてあげること。
それはきっと、自分自身にも必要なことなのだと思います。
「どうやって怒るの辞めればいいの?!」という次女の言葉でハッとしました。
この子も怒りたくて怒っているわけではない。
むしろ”怒りの沈め方がわからなくて困っている”という・・・。
自分の中に湧き上がる大きな感情をどう扱えばいいのかわからない。
そう考えると、少し見え方が変わります。
そして同時に、
「私も小さい頃はこうだったのかな」
とも思います。
覚えてはいないけれど、私もたくさんの感情を抱えながら大人になってきたはずです。
外にいる時は周りの目が気になることもあります。
誰かに迷惑をかけたらどうしようと思うこともあります。
でも振り返ると、次女の癇癪が一番強く出るのは家の中、家族だけでいる時、そして私と一緒にいる時です。
だからこそ、私自身も試されているような気持ちになります。
どんな言葉をかけたらいいのだろう。
待つべきなのか、抱きしめるべきなのか。
この子に合った関わり方は何だろう。
正解がわからないまま、その都度向き合っています。
そして時々思うのです。
私は次女の癇癪を何とかしようとしているようで、本当は自分自身の不安と向き合っているのかもしれないと。
この対応で合っているのかな。
この子のためになっているのかな。
親としてこれでいいのかな。
そんな答えのない問いを抱えながら、毎日子どもと向き合っています。
もちろん、いつも冷静ではいられません。
感情的になってしまう日もあります。
そんな日は、
「こんな小さな子に大人げない言葉を使ってしまったな」
と反省することも。
純粋に「ママ大好き」と言ってくれる次女を見ると、申し訳ない気持ちになります。
まだまだ修行中です。
でも子育てをしていて思います。
人の気持ちはコントロールできません。
子どもの感情も、自分の思い通りにはなりません。
だからこそ大切なのは、その感情に出会った時の自分の在り方なのかもしれません。
どれだけ余白を持てるか。
どれだけ自分の感情に飲み込まれずにいられるか。
どれだけ目の前の子どもの声なき声に耳を傾けられるか。
子育ては、子どもを育てる時間であると同時に、自分を育てる時間でもある。
次女の癇癪がなくなることがゴールではなく、そんな時に私自身が少しずつ余白を持てるようになること。
ヨガの練習と同じように、うまくいく日もあれば、そうでない日もある。
それでもまた自分を見つめ、整え直し、今の自分に戻ってくる。
その繰り返しなのだと思います。
まだまだ道半ば。
今日も子どもたちに、自分自身についてたくさんのことを学ばせてもらっています。





